いらすとやに謝りたい

旅の記録

突然だが、カトリック教徒が神父さんを通して自分の罪を神に告白し、赦しを得る儀式の「告解」というものがある。その告解をする部屋を告解室といい、イタリアの教会ではよく目にした。ここでの「罪」とは社会的な罪だけではなく他人を不快にさせてしまう行為も含まれているので、人の話を聞かないし、時間を守らない僕は圧倒的に後者において重罪人である事は確かである。

ただ、僕はカトリック教徒ではないので告解はせずに一人で大人しく反省をすべきなのだが、一人では反省しきれないほどの出来事があったので、この場を僕の告解室にして罪の赦しを得たいと思う。

盗難事件の翌日、被害に遭って憤慨していた南米出身のサマラと話す機会があった。昨夜の騒ぎの時には一度も登場しなかった薄情な弟と一緒に旅をしているようで、互いに英語力がイマイチな僕らは意気投合し、拙い英語でたくさんおしゃべりをした。

そんななか、僕が子どもの絵を集めている話をすると、彼女は「そんなナイスなことしているなら、お前もいい絵描くんだろ」「私の妹は音楽の先生をしているが、ピアノすごく上手だぞ」と言ってきた。もちろん僕は美大出身なわけでもなく、絵が得意なわけでもない。描いても人には下手くその遠回しの意味で、「味があるねえ、、」と言われる具合いだ。なのでキッパリと「そんなことないよ」と否定した。しかし、彼女は僕が謙遜しているのだと感じたようで、何度断っても「いや、お前はアーティストだ」「いいから絵を見せろ」と言って引く様子がない。

その夜の別れ際、ある訳のない僕の絵を翌日サマラに見せることが一方的に決まった。

さあ困った。僕に絵のストックなどあるわけないし、あったとしても褒められるような絵ではない。そのうえ厄介なのは、僕の手元にびっちり画材が揃っているということ。万が一、彼女に「今ここで描いてみてよ」なんて言われたらおしまいである。台所のシンクの隅にある生ゴミみたいな僕の絵を見た彼女が困った反応するのが、安易に想像できる。

なので、僕に残された選択肢は2つ。

プランA:まじで絵のストックはないというのを伝え、もし頼まれても絵を描くのを見せない

プランB:絵のストックを見せる

である。

まずプランAについてだか、正直これは避けたい。僕がアーティストだと勝手に思い込んでいる彼女が、勝手に失望するだろうからである。それに、僕的にもちょっとつまんない。困りながらもいい話のネタになるのではと企んでいたのである。

従ってプランBに決めたが、何度も言っている通り僕に絵のストックはない。ではどうするかと考えたとき、一つのアイデアが降りてきた。

“ いらすとや って、著作権フリーだよな?”

ここからの僕は早かった。「いらすとや」をググり、次から次へとカメラロールに保存をしていく。さらにフォルダ分けをする徹底ぶり。この時、僕のスマホのカメラロールは、旅の思い出よりフリー素材の絶妙にかわいくて目の奥にある感情が読めない人間たちや可もなく不可もない庶民的な絵たちで埋め尽くされていた。動画やホームページなど、フリー素材の使い道はたくさんあれど、他人に自分がアーティストであることを偽るために使用するのはきっと僕ぐらいだろう。

そして迎えた翌日、勝手に決めた約束を楽しみに、鼻の穴を膨らませた彼女が僕の元にやって来る。

「絵を見せてくれる?」と彼女が言い終わるより先に、僕はいらすとやで支配されたカメラロールを差し出す。

「わお!やっぱあるじゃん!」と受け取り、彼女がスマホに視線を移す。心を躍らせて笑顔の彼女が、スマホの画面を人差し指で右から左にスクロールをしていく。

スッ、、、スッ、、、スッ、、、

スッ、スッ、ススススススッ、、、!!!!

彼女のスクロールがどんどん速くなっていき、アハ体験にしては分かりやすいほど彼女の表情から笑顔が消えていった。そしてまだ画像は残っているのに彼女は指の動きを止め、一生懸命の作り笑顔で僕にこう言った。

「I love them !」

うそつけーー!!!

めちゃくちゃ気遣ってるだろう!盗難にあった時は感情を剥き出しにしてたくせに!こういう時はちゃんと気持ちを抑えて相手を思いやるんだな!ありがとうよ!

いけると思った奇策だったが、こんな形で南米から低評価を受けることになったいらすとやには申し訳ない。ただただ素材を提供してくれただけなのに。

この状況はまるで、告白してないのに好きでもない人にフラれたみたいな感じだろうか。

これが僕の告解である。これからは正直に生きていこうと思います。

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