はじめてのちゅうとう

旅の記録

ちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅ、ちゅっちゅ中東♪ 

誰にも内緒でおでかけなのよ どこへ行こうかな

(Ok!Turky!)

28ちゃいの僕は、1人で地元の地区センターみたいな規模のカトマンズ空港を後にして中東のトルコへ向かった。初めての中東に、すでに乗り継ぎ先のドバイ国際空港で浮かれていた自分。9時間もある待ち時間をSFみたいな雰囲気の空港内モノレールの先頭でムービーを撮ったり、昨今日本の政界を騒がせているガーシー議員がいないか世界最大級の玄関内を探し回ったりして時間を持て余すことなく過ごし、乗り込んだ飛行機の窓からマーブル模様のような地形から生えたビル群に別れを告げる。興奮を抑えきれず、ずっと半笑いかニヤニヤして浮かれていた。ただ、これまでの人生を振り返ってみると自分の浮かれメーターがハイになると、決まってどこかの誰かが「調子乗んなよ」と水を差してくる。しかもバケツいっぱいの水を。この声の主は決して目に見えず、いつだって僕の人生にまとわりついてくる厄介な存在なのだ。

中学2年の春、バスケ部だった僕は珍しく練習中顧問の先生に褒められた。普通に上手だった先輩たちを、バスケのために生まれてきたみたいな同級生たちがほぼ全員ベンチへ引き摺り下ろしていた。その年、2年生が中心のチームは県で一番になった。3年生が引退してやっと自分たちの代になったのに、試合に出られない先輩たちが不憫でならなかった。なんてことはない市立中学校なのに、彼らの代だけで県の選抜選手を何人も輩出する強豪校だった。そんな化け物に囲まれた中で褒められたものだから、当時の僕は嬉しくて仕様がなかった。そのまま気持ちいいままにさせてくれればいいのに、その後の体育の授業で走っていたら転倒し、右足首を骨折した。僕の怪我が決定打となり、数ヶ月後には学校指定の体育館シューズが導入された。

高校の頃も対して上手くもないのに懲りずにバスケを続けていた。顧問は僕が卒業した後、教育委員会に訴えられるほど理不尽で厳しい先生だった。まだmixiの紹介文を書くことと、リアルで好きな子の更新を追うのに必死だった僕はその先生の異常さに気が付かず、怒られないように過ごすのが日々の目標だった。3人しかいない同級生の中、消去法で部長になった1年間は生きた心地がせず、”どんなに悩んでも、くる明日が変わらない”と悟ったのもこの時だった。「神は乗り越えられる試練しか与えない」TBSドラマ”仁”のこの台詞が当時の僕を支え続けた。ありがとう大沢たかお。ありがとう綾瀬はるか。そんな中で起こしたたった一度の後輩へのイタズラ。昨夜に見たあの子の前略プロフィールの好きな人のタイプの欄に書かれている内容がドンピシャ自分で浮かれていた朝、いつもはこんな事しないのに、後輩が歩く先で待ち伏せして死角からボールを投げて驚かせるという小さなイタズラをした。これをたまたま顧問に目撃されてしこたま怒られ、ペナルティーとして翌日の試合に出させてもらえなかった。顧問に怒られながら、誰に何を謝れば良いのか分からなかったが、”調子乗ったからだよ”と耳元で囁く声が、顧問の怒鳴り声と共に聞こえた。パワハラ顧問には教育委員会という特効薬が効き、部には平和が訪れたようだが、僕のお調子乗りにはちょうど良い効き目の薬はない。水を差すにもせめてお猪口一杯程度にして欲しいものだ。

話を中東に戻そう。

トルコのイスタンブールに着いた僕は、準備していた防寒具では間に合いそうも無いので帽子を買いに出かけた。トルコだからといって特別日本と品揃えが違うわけでも無く、ニットや厚い生地のキャップが並んでいた。僕が選んだのは、決して日本にいる時は手にすることのなかったあの、特攻隊のパイロットが被りそうな、モンゴルの遊牧民が被っていそうな、おでこ部分にもこもこが付いていて、サイドを下ろすと耳まで覆えるあの帽子である。買ったお店でタグを外して帽子を被り、スキップでもしそうな勢いで普通に歩く。改めて振り返ってみると、ちゃんと浮かれていた。試着して鏡に写る香港マフィアを不思議に思わないくらいには。ドバイ国際空港で上昇し始めた僕の浮かれメーターは留まることを知らず、ここイスタンブールまで来ていたのだ。そして頭の中が完全にお花畑とまだ口にしてないケバブでいっぱいだった時、なみなみに水が入ったバケツを持ってあいつが言う。

”おい、調子乗んなよ”

ーーー「めっちゃ良い帽子じゃないか!」と声をかけてくれたのは僕と同じく一人旅をしているギリシャ人だった。旅好きで今までに何カ国も行ったことのある彼は、たまにマウントをとってくることが少し鼻についたがナイスな男で、僕らは意気投合した。街を歩きながら会話をし、ガラタ塔のよく見えるカフェでトルココーヒーを嗜んだ。その後彼に誘われてbarなるものに行ったが、楽しかったのはコーヒーまでで、普段からお酒を飲まない僕が当然楽しめるわけはなく、しかもその、ばあなるものの予想外の価格設定に驚き、彼と少し揉めた。上昇し続けて大気圏にまで達するんじゃないかと思った僕の浮かれメーターはそこで急降下して地に着いた。

数日後、予想外の大出費からメンタルが回復しきらないまま気球で有名なカッパドキアへ行く。ネットによると、ここでは年中日の出と共に気球を拝めるとのことだったので、滞在予定が5日もあれば飽きるほど観られると思っていた。しかし、夜行バスでカッパドキアに着いた早朝に、青黒い色の空にゆっくり馴染んでいくオレンジ色の日は綺麗だったのに気球は一つも上がっていなかった。冬は気球が上がらないのかと不安になって宿のオーナーに尋ねると、「昨日は飛んだよ」と言っていたので安心した。

安心して過ごしたら5日が経った。僕の旅程に合わせてやって来た雪雲はカッパドキアの岩山にファンデーションを塗ったが、気球にとっては不都合でしかなかった。加えて風もあったので、翌朝の天気を見ては項垂れる毎晩だった。でも、最高のホスピタリティの宿でおもしろルームメイトとの愉快な日々を延長出来るという喜びもあったので、気球が見られるまで延泊することにした。ただ天気予報によると、明日の朝は晴れ。風もない。気球が上がらないわけがない!僕は気球へのモチベーションをさらに上げるため、靴下を新調した。お土産屋さんに並んでいた気球が刺繍された可愛い靴下。普段はどの格好にも合うよう無地の靴下しか選ばない僕だが、トルコの風と楽しい滞在が僕の背中を押した。つまり僕はまたもや浮かれまくっていたのである。

翌朝6時半に起き、今にも打ち上がりそうな柄をした靴下を履き、散々調べ上げた日の出と気球が同時に見られる崖の頂上へ向かう。外に出た瞬間眠気は吹っ飛び、30分ほど歩いてその場所に着くと、すでに何人か待機していた。日の出まであと15分くらいか。日が近くなった空を見てみると、雲一つないことが改めて確認できた。さあ気球だ。じわじわと辺りが明るくなっていく。前もって東の方角を確認し、カメラのどの画角に太陽と気球を納めるか予習をしたのであとはシャッターを切るだけ。5日以上待たされてようやく拝めるであろう光景に胸が高鳴ると同時に少しの緊張が心の中に同居していた事に気がつく。たまに吹く風に身を縮こませるが、首から上は寒さを知らない小柄和製香港マフィア。そして訪れる日の出。。。

「あれ、気球は???」

結局計9日も泊まったのに一度も気球を見ることは出来なかった。周りの人を見ると、美しい日の出に感激しながらも、どこか消化不良な表情をしていた。多分僕も同じ顔をしていただろう。ふと足元を見ると野犬が僕に体を寄せてきた。ここの野犬は飼い犬より大きい。襲われたら僕は絶対に敵わない大きさで、犬種は分からない。僕が触れようとしゃがむと、犬は鼻と口を僕の耳元に寄せた。

犬「あんま調子乗んなよ」

僕「お前だったのか」

イスタンブールでは、浮かれた勢いで購入した帽子を被った直後に声をかけられた男と飲みに行ったことでものすごいトラブルになった。カッパドキアでは浮かれて可愛い靴下を買い、9日も粘ったのに一度も気球を見ることができなかった。ここでは誰も「おでかけ?1人で偉いねえ」なんて言ってくれず、アホみたいな顔した僕に必要以上の水を差してくる。僕は中東が好きだけど中東は僕が嫌いなようだ。

しょげないでよbaby♪

登った朝日は凍った街をゆっくり溶かす。太陽はびしょびしょに濡れた僕に暖を与えてくれ、「まあいいか」と思わせてくれる。

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