私は下痢しに海外へ

旅の記録

条件反射っていうのかな、「〜すると〇〇したくなる」みたいな事が誰にでもよくあると思う。例えば、「エレベーターに乗ったら、おしっこしたくなる」とか、「本のインクのにおいを嗅ぐと、おしっこしたくなる」とか。思いついた例えがおしっこしかなかった事に自分の引き出しの少なさと下品さを嘆かずにはいられないが、今までこれで生きてきたからしょうがない。もし自分の育ちが良ければ、「ポルシェに乗ると、お花を摘みたくなる」とか、「高層ビルの夜景を見ると、催し物に行きたくなる」と言っていたに違いない。なんて上品な言い方なんだろう。

僕の場合、少し違うが「海外に行ったら下痢をする」というのが条件反射と言ってもいいくらいお約束ごとになっている。初めて一人で海外に行ったバリ島で鮮烈な下痢デビューを果たし、続くタンザニア、ケニアでは現地人にマラリアを疑われるほどの大物っぷりを発揮した。さらに当時付き合っていた彼女とアメリカに行った時にもその催し物はやってきて、排泄後は彼女に気付かれぬよう快便な顔をして戻った事もある。ただ、大抵その理由は明らかで、現地の水道水を飲んだ事によるものである。しかし人間というのは失敗を繰り返す愚かな生き物であり、僕もそのうちの一人に過ぎなかった。

今回のヨーロッパ旅の一発目に滞在したデンマークでのこと。泊まった宿の一角の壁がペンキで「この水飲めます 」と目立つように書いてあり、その目の前に蛇口が用意されていたので、宿泊者は水を汲んでいた。当然、僕も疑うことなくその水を自分の水筒に入れてがばがば飲んでいたのだが、その数時間後にトイレに篭る事になる。便座に腰掛け、下を向いたところで、”ああ、そういえば、、、”と思い出し、同時に自分が海外に来たということを改めて実感するのであった。

しかし、そんな下痢を繰り返す愚かな僕でも僅かな学習能力はあったので、日本から持って来た整腸剤を飲んでことなきを得る。お腹を壊すのを見越して薬を用意するが、お腹を壊す原因を毎回忘れるので、いくらあっても足りないのである。

ただ、もちろん安全か定かでない水を飲む自分に過失はあるのだが、毎回飲んでも成長しない僕の胃腸にも文句を言いたい。いつになったらアップデートするのかと。野生動物で言えば、キリンは高いところにある餌を食べるために自分の首を伸ばした。カクレクマノミは自分の身を外敵から守るために毒を持つイソギンチャクに住み着き、徐々に耐性をつけてきた。それなのになぜいつになっても、タンスの隅に足をぶつけて毎回悶絶する僕の足の小指は部分的に鋼鉄化しないし、海外の水道水を飲むと下痢をするのだろうか。しかし、動物たちは長い年月をかけてこのように進化、または変化をしてきているので、人間になって僅か28年の僕が生きているうちに鋼鉄の小指と胃腸を手にすることは無いだろう。なので数百年後、数千年後を生きる僕の子孫に期待したい。無敵の身体を携えた彼らは、祖先の僕を崇めるに違いない。言わば、この海外で下痢をするという行為は、人類の進化への投資なのである。自分がうんこをするだけで人類の未来に貢献出来るのなら安いものだ。喜んで下痢をしよう。

唯一危惧すべきなのは、水道水を飲まずに、「海外に行ったら下痢をする」と身体が条件反射を起こすことである。これからは慎重に下痢をしていきたい。

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